【映像作家】何だって実現できる!新しい世界を創り続ける森田と純平さんにインタビュー!

森田と純平

今回は、フリーのテレビディレクターや脚本作家などを経て、現在はアニメ監督としてクリエイティブコンテンツの制作会社Story Effectの代表を務める森田と純平さんにインタビューさせていただきました。

代表作は、アニメ『LOST SONG』や人気テレビ番組『アナザースカイ』など。下積み時代やフリー時代の過酷なエピソードから、注目作『ノクターンブギ』の誕生秘話までたっぷりと語っていただきました。

映像制作業界に興味のある方はもちろん、今の境遇の辛さに心が折れそうになっている方にも、ぜひ読んでいただきたい記事となりました。

 

過酷な日々に突然の呼び出し だから今もここにいる

森田と純平さんの幼少期について教えてください

森田と純平さん:幼少期は“ひょうきんなガキンチョ”だったと思います。とにかく映画が好きで、ビデオが擦り切れるくらい観ていました。特に『スター・ウォーズ』とか『インディ・ジョーンズ』のような、80年代のハリウッド映画が大好きでした。その影響を強く受けていたので、映画のシーンを空想の中で作り出し、ごっこ遊びを展開していました(笑)

 

大好きな映画を仕事として意識したのはいつ頃でしたか?

森田と純平さん:中学・高校生の頃には、「自分で作品を作りたい」と考え始めていました。そこで、大学の進学を辞退して、周囲の反対を押し切り映画の専門学校に進学しました。

でも、卒業後の世界は思っていた以上に過酷な場所でした。当時はまともな雇用契約もない時代。「明日から来い」で映画の制作入りが決まり、朝の5時から深夜まで撮影現場で働き、翌朝もまた5時に現場入りするという日々でした。1ヶ月の給料も事前には決まっておらず、撮影現場の仕事といっても通行人の誘導など。先輩も厳しくて、心身ともに過酷な環境でした。同期とは、愚痴の言い合いや嫌な先輩の悪口など、そんな会話ばかりしていました(笑)

やがて、慰めあっていた同期も最終的にはほぼみんな辞めてしまいました。専門学校時代の同級生も、いま現役で活動している人はわずかだと思います。今はもっと働きやすい時代になりましたが、当時はそのくらい厳しい時代でした。

 

過酷な下積み時代を耐えられた要因は何だったのでしょうか。

森田と純平さん:まだ下っ端だった頃、今でも鮮明に覚えているほどの出来事が起きました。その頃の毎日は、誘導灯をもって交通整理をしたり、お茶セットを作ったりと、撮影場所に背を向けていることがほとんどでした。自分が何のためにここにいるのか分からなくなっていたある時、上司からいきなり「森田、ちょっと来い」と撮影側の手伝いを頼まれました。たまたま近くにいたのが僕だったから頼まれた、誰でもよかった本当にちょっとした手伝いです。でも、その時に初めて本物の撮影現場を見たんです。

目の前には学生時代に使っていたものとはまるで違う機材の数々、巨大なクレーン、100人前後のスタッフたちがいました。その中で、機材や人を動かしている撮影スタッフがもの凄く格好良く見えたんです。僕が手伝いを任され、その光景を見れたのはたったの1カットだけでした。でもその数分間の経験が、当時の僕に強烈なインパクトを与えました。「やっぱりかっこいい!俺もやってやる!これをやりに来たんだ!」と強い思いを抱きました。この思いが、その後の下積み時代を支えることになりました。だから、もしあの時に手伝いを任されたのが僕じゃなかったら、ここに居なかったかもしれません。

 

どうやったら監督になれる?大切なのは見つめ直すこと

下積み時代から監督になるまで、どのような経験を経てきたのか教えてください。

森田と純平さん:映画制作の現場で経験を積んでいくうちに、上司の方々から気にかけてもらえるようになり、徐々に人脈ができて、テレビ業界に入りました。そこでは、バラエティー番組のディレクターやドラマの監督を経験しました。当時は20代半ばでしたが、レギュラー番組を何本か抱えていて、忙しくても毎日が楽しかったです。稼ぎも良かったので、金銭的には調子に乗っていましたね。

でも、ある時からテレビ局が求めるものを提出している感覚になり、毎週同じ仕事をすることに違和感を感じ始めたんです。楽しくやっていた仕事を流れ作業のように感じ出したとき、もうこの場を去らなければダメだと考えました。もともと映画やドラマなど物語を描きたかったのでテレビバラエティの第一線から離れ、無職のような状況になりながらもひたすら自分で脚本を描いて、プロデューサーのもとに持って行ったり、コンペに出したりしていました。この頃は、持ち込んだ企画が断られるだけでも苦しいのに、ひどい時は盗用じみたことをされたりもして、本当に苦しかったですね。でも、そんなことを続けていたときに、NHKさんのコンペで作品が選ばれて、監督デビューする機会に巡り会えたんです。

 

森田と純平さんのように、フリーから監督デビューする人は多いのですか?

森田と純平さん:僕の場合は、たまたま運が良くて監督になれたんです。多くの場合、名もなきフリーの監督なんてすぐに切られてしまいますし、そもそも仕事も回ってきません。制作会社に入社し、キャリアを積んでやがて監督になる道が多いと思います。制作会社では仕事が与えられますが、フリーは自ら仕事を取ってこなければなりませんし、当然ながら仕事をしないと収入は得られません。フリーで仕事をするのはなかなかの茨の道だと思います。

 

では、若い人には会社に入ることをお勧めしますか?

森田と純平さん:考え次第だと思いますが、フリーよりは安定すると思います。ただ制作会社へ入社することも簡単ではありません。どの業界でも共通していることだとは思いますが、大事なのは「自分は何がしたいのか」と「その会社がこれまでどんな作品を手掛けてきたのか」を整理することだと思います。つまり、やりたいことをするための導線にある場所を選ぶことが重要です。映画やテレビだけじゃなく、YoutubeやTikTokなどコンテンツの入口が増えたからこそ、ビジョンを明確に持っておかないと、見失うことになりかねないと思うんです。

 

想いを追求すべく起業!無鉄砲の先に見つめるビジョンとは

株式会社Story Effect
株式会社Story EffectのHP

フリーで活動していた中で、会社を設立したことにはどんな転機があったのでしょうか。

森田と純平さん:フリーで活動していた時に、テレビ時代からご縁があった株式会社MAGES.さんに声をかけていただき、社員として雇ってもらったんです。そこでいろいろな作品に携わらせていただきました。安定した生活とキャリアを与えてもらいましたが、元々フリーだったので、やっぱり「(会社の意向には関係ない)自分の作品を作りたい」という気持ちが強くて、4年ほどで退社させていただきました。この2度目のフリーになるタイミングで会社を設立しました。

会社といっても、大きくするつもりはなくてやりたいことをやるための個人事務所なので、フリーの時との差はそんなにないです。資産も知名度も大して築いていない無鉄砲な自分が起業することに、周囲からは「絶対失敗するぞ」と言われました(笑)今でも、経営に関することなんてよく分からないので、会計士さんや経理士さんの言いなりですね(笑)

 

そんな無鉄砲と言われた選択に、後悔はありますか?

森田と純平さん:いえ、起業してよかったです。色々な案件に対して、決定権が自分にあるのがフリーの特権ですね。とは言っても大切な家族がいて、守っていく責任がありますから、完全に気分のままに仕事をしているわけではありません。他社さんから依頼を受けて制作することだって当然あります。でも、その全ての意思決定権が自分にあるので、やりたかったことができている感覚はあります。

 

作品作りでもどんどん新しいことに挑戦されていますよね?

森田と純平さん:作品作りはまだ「これが頂点だ!」と思えるところには至っていないんです。だから、日々模索しながら作っています。コロナ禍で完全フルリモートで監督して作った『ノクターンブギ』も、大きな挑戦でした。コロナが蔓延し始めた2020年前半、エンタメ業界は一気に冷え込みました。

知人のライブ専門技術会社のスタッフは、大物アイドルのライブイベントが前日に中止され、その後のイベント予定も全て白紙になって、わずか数ヶ月のうちに会社倒産の危機に直面していました。役者さんたちも同じで、演じることをピュアに愛している彼らなのに、それを取り上げられていました。多くの業界人が、顔面蒼白で「もうダメだ」と漏らしていたんです。そんな状況が切なくて苦しくて、「何か動き出さないとダメだ!」という想いから走り出したのが『ノクターンブギ』でした。いま思うと、コロナという未曾有の危機に直面したからこそ踏み出せた、新しい一歩でした。

ノクターンブギ
ノクターンブギのHP
キミとフィットボクシング
キミとフィットボクシングのHP

森田と純平さんの苦しい時に這いあがるエネルギーはどこからくるのですか?

森田と純平さん:辛い下積み時代と、フリーでやっていた頃の悔しい思いが力になっている気がします。企画を横取りされた経験も、今では「自分が動いて成立させてやる!」という原動力につながっています。だから、やりたいことのアイディアがどんどん浮かんでくるんです。思いつくことを携帯のメモに残しているんですが、数が増えすぎて実現する時間が足りないんです。きっと死ぬまでに全てをやり遂げるのは無理で、それが凄く悔しいからこそドンドン動き回るエネルギーになっている気もします。

 

今思い描いている今後のビジョンを教えてください。

森田と純平さん:以前制作した『キミとフィットボクシング』のように、今までのアニメ制作とは違う新しいツールを使ったり色々な人を巻き込んだりして制作していきたい、というのがいま思い描くビジョンです。アニメ監督としては異質かもしれませんが、そこに僕のポジションがあると考えています。新しいツールや技術は日々更新されるものなので、今は勉強の毎日です。学ぶこと自体も楽しいですし、アイディアが形になっていく過程は最高ですね。

 

ものづくりの世界は、永遠に続く“文化祭準備”!?

映像制作の世界の魅力とはなんですか?

森田と純平さん:一つの作品を作り上げるには、ほとんどの場合がチームで取り組みます。仲間で一つのものを作り上げる過程は学生時代の文化祭のようで、青春そのものなんです。仕事を分担して、時には些細なことにみんなで意見を出し合って真剣に悩んで。「もう間に合わないー!」と言いながらなんとか完成させて、みんなでファミレスで打ち上げをしたり。そんな楽しい青春がずっと続くのが、この世界の魅力だと思います。 

 

これからその世界を目指す人に向けて、メッセージやアドバイスはありますか?

森田と純平さん:やりたいことを具現化できるチャンスがいっぱいあると伝えたいです。その「やりたいこと」は何でも良いんです。現実で経験できなかったことも作品を通じて経験できます。

また、アドバイスとしては色々なものに興味をもって学んだ方がいいと伝えたいです。若い頃の僕は、監督とはいえ専門知識がなく、カメラや照明などの技術面はノータッチで感覚のままに突き進んでいたんです。でもそれは大きな間違いで、監督ならばあらゆる知識を持つべきなんです。専門的なことも知っている上で、表現したいものを提示する必要があります。ぜひ楽しみながらたくさん吸収して、モノづくりの世界に入ってきてほしいです。

***

今回は、監督や映像作家だけでなく原作づくりなど、“作品づくり”に対して幅広くご活躍中の森田と純平さんにインタビューさせていただきました。

下積み時代「やっぱり格好いい!これをやりに来たんだ!」と心に宿った炎。それを消すことなく、灯し続けている姿に勇気をもらった読者も多いのではないでしょうか。

筆者である私自身、辛い時にまた読み返したい記事となりました。

森田と純平さん
もりたとじゅんぺい|映像作家 アニメ監督


東京都出身。株式会社Story Effect代表取締役。実写映画の助監督、テレビドラマの脚本・監督などを経て、現在は主にアニメ監督。また、制作会社の社員、テレビディレクター、フリー、代表取締役と豊富な経験を持ち、実写作品やアニメ・CG作品など幅広いジャンルの制作を手掛けている。

株式会社Story Effect:https://storyeffect.co.jp/
ノクターンブギのHP:https://nocturne-boogie.jp/
キミとフィットボクシングのHP:https://fitboxing.net/anime/

 

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