【わたご酒店】寺田和広さんがつくる「未来につながる酒屋」とは

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皆さんは「まちの酒屋」と聞いて、どんなお店をイメージするでしょうか。
私は軒下の杉玉がやけにかっこよく感じる、酒好きの大人しかふさわしくないような老舗酒屋、もしくは、酒以外の商品も多く取り扱っていて、コンビニやスーパーに近い雰囲気の酒屋をイメージします。

新潟亀田わたご酒店は、どちらのイメージにも該当しない、新しい雰囲気に包まれた「まちの酒屋」です。店には酒以外に裏の畑で採れたばかりの新鮮な野菜や、その野菜を使ったお惣菜なども置かれています。しかし、コンビニやスーパーにはない、心躍るお買い物ができるワクワク感が漂っているのが、このわたご酒店。

今回は、新潟亀田わたご酒店の店主 寺田和広さんに取材をしてきました。
地酒との出会い、心配する家族を説得して孫継、お店改造のためにしたことなどを詰め込んであります。

 

わたご酒店とは

新潟亀田わたご酒店外観

新潟亀田にあるわたご酒店は、約40年前の1977年に農家を営んでいたご夫婦が2足の草鞋としてはじめたお店。現在は、当時お店を始めた店主の外孫である寺田和広さんがUターンをしてお店を継いでいます。

2020年の2月に外観を、2021年の4月に内観のリニューアルを手掛けたそのお店は、酒屋のイメージを覆すようなオシャレな雰囲気が漂っていました。そんなわたご酒店のコンセプトは〝地酒専門店〞と〝人が集まるまちの酒屋

酒屋と言うと、「子供や未成年はお断り」「お酒好きが来る場所」というイメージを抱きがちですが、わたご酒店はFun to Drink;」をスローガンに掲げ、何より「楽しむ」を軸にしたお店作りにこだわっているそう。

「地酒専門店」という名にふさわしい、全国各地の地酒を厳選した日本酒のラインナップと「まちの酒屋」としてあらゆる人にフィットするべく、家族連れやお酒を飲まない人も気軽に立ち寄れる店作り。さらに見た目だけではなく、環境に配慮をした仕掛けが商品やお店にも散りばめられています。

また、日本酒を知る入り口づくりのための勉強会やワークショップ、ラベルのこだわりなど、何度来ても楽しめる施策もたくさん打ち出しています。まさにモノ消費ではなく、ストーリーごと楽しめるトキ消費、地域に愛される酒屋さんです。

新潟亀田わたご酒店内観

旅を通して見つけた真の”まちづくり”


ー寺田さんは、いつ頃から酒業界に就職しようと思っていたのでしょうか。

寺田和広さん:私は大学4年間の経験があって、酒業界に就職しようという考えに繋がっていきました。まず、高校生時代の私は新潟なんて面白くないと思ってたんです。身近にいた大人も特に楽しそうに生活していたわけじゃなかったし。だから面白さや楽しさを求めて、東京の大学に進学したんです。でも東京も「日常」なんて「普通」で、思った以上の刺激は得られなかったんです。

だから思い切って海外に行こうと思ったんです。観光で予定を詰め込むわけではなく、バックパッカーの放浪旅だったんですが、最初はタイとラオスから始まり、東南アジアや西ヨーロッパ、アメリカ、インドまで、いろんな国を旅しました。大学4年間で巡った国は合計20カ国ほど。

そして大学3年になって、いよいよ就活が始まるというときに東日本大震災が起こり、安心安全が日本で叫ばれるようになりました。私自身も安全安心で暮らしやすいまちづくりに貢献できる仕事がしたいと思ったんです。そこで、海外で暮らしやすい街ってどこだったかなと考えたとき、人と人が笑い合っていた、いくつかの街の光景が浮かび、そこに共通しているのは“酒”の存在だと気づいたんです。

例えばイタリアでは、スクールバスのおじさんと昼間から一緒に飲んだりもしました。「これから仕事なのに大丈夫?」と聞くと、「これはお酒じゃなくて水だから大丈夫だ!」って、白ワイン片手に言うんです(笑)そんな”海外らしさ”を目の当たりにして、お酒を楽しんでいる人って「生きること」を楽しんでる人ばかりだなって感じたんです。イギリスのパブが「パブリック」的なニュアンスを持っているように、海外では酒場って社交場であって、街の人たちが集まって話をする場所なんですよね。ある意味、フラットな場所で開かれるタウンミーティングのよう。

そんな考えを抱いて就活していたら、他の業種よりも酒業界の選考がすんなり進んで、結果的に酒業界に進むことになりました。

 

ーお酒の存在が、まちづくりに繋がるんですね。

寺田和広さん:そうですね。僕は農学部だったんですが、当時の教授たちは皆さんやたらとお酒が強かったんです。理由を聞くと、お酒は農家さん達とコミュニケーションを図る重要なツールだと教えてくれました。

昼間のミーティングでは絶対に本音を話してくれない農家さんが、お酒を一緒に飲むことで課題を話してくれるんだとか。抱えている悩みや弱い部分を、酒の場では見せてくれるんですよね。

これは僕の研究テーマであった『共生(人と人とが寄り添い、暮らしを良くするにはどうすべきか)』に対しても、お酒の力が果たす役割って大きいんだなという気付きに繋がりました。

”安心安全なまちづくり”ってインフラ整備などのハード面と、心が安心しているというソフト面があると思うんです。心の安心、ソフト面にお酒はきっと欠かせない存在であると思ったんです。

 

地酒との出会い

新潟亀田わたご酒店

ー実際に、新卒で入社したお酒の卸業者ではどんなことをされていたのでしょうか。

寺田和広さん:割と大きな会社だったので取引先も大きくて、大手飲料メーカーから仕入れて、大手スーパーや量販店に卸す仕事をしていました。具体的には、仕入れたアルコール飲料をトラックで運搬した時の原価コストを計算したり、実際に運搬の手配をしたりという仕事でした。

 

ーここまでの話にあった「お酒・人と人・まち」からは離れてしまったのでは。

寺田和広さん:そうなんです。楽しさはもちろんありましたが、思い描いていたお酒の世界と違ったなというギャップは感じていましたね。そんな中、たまたま中小規模のいわゆる”まちの酒屋さん”を回る営業研修があったんです。そこで、後々セカンドキャリアでお世話になる今田商店の若旦那と出会い、気に入ってもらえ、研修後も定期的に連絡を取り合う仲になったんです。

そしてある時、若旦那から妙高市にある『千代の光』さんの酒蔵見学に誘っていただいたんです。この出会いが、僕にとって分岐点となりました。

当時、会社の取引先である大手酒蔵の見学に行ったことはあったんですが、大手がために”工場見学”のような印象を受けたんです。しかし、千代の光さんに見学してみると、代表はお酒の話以前に、田んぼや今年の気候、稲の実りの話からしはじめたんです。これには驚きましたが、同時に自然と調和してものづくりをする方々の芸術的な感性などに触れたような気がして、一瞬で惹き込まれたんです。尚且つ、お話やストーリーを伺っているうちに、私自身がなんだか豊かな気持ちになれたんですよね。

そして直感的に、大手ではなく地酒の世界には、同じように面白い方や素敵なストーリーがたくさんあるのではないかと感じました。だから、「こういった方々と仕事がしたい!」「このストーリーを伝えていきたい!」と思ったんです。

それから少し後に、今田商店の若旦那から「一緒に働かないか」と誘っていただき、転職を決意しました。

 

ー今田商店でのセカンドキャリアは、どのようなことをされていたのでしょうか。

寺田和広さん:今田商店は東京の茅場町のオフィス街にあって、当時改装したばかりでお洒落な店内でした。月に2回ほど試飲会をしており、常連客などで100人以上集まることも。試飲会では、マイクを持って店員の我々が酒蔵さんの想いやストーリーを伝えるんです。他にも、SNSで発信したり、お酒の情報誌に編集したりしていましたね。

業務も、店長代理のようなことを任せてもらえていたので、経営のことなどたくさん学ばせていただきました。

 

祖父母が始めたわたご酒店を継ぎたい!

昔のわたご酒店外観

ーわたご酒店を継ごうと思われたきっかけを教えてください。

寺田和広さん:明確なきっかけはないんです。わたご酒店は母方の実家であり、祖父母と母で切り盛りしてきた店です。

たまたま、酒業界に入った私ですが、わたご酒店がどんどん廃れてきていたことは感じておりました。最初は働き出して間もない頃に「店継ごうかな」と軽く発言してみたんです。すると身内から猛反対(笑)
スーパーやコンビニが便利なこの時代に酒屋なんてやっても大変なだけだ、などと。

しかし私自身はというと、地酒の魅力にのめり込むうちに、店を継ぎたいという意志が徐々に明確になりはじめました。
だって、こうして酒業界で経験を積むことができているのに、「実家の酒屋は潰れてしまったんだよね」なんて、格好悪いじゃないですか(笑)

なんとかして店を残したいという想いが捨てきれず、何度か身内の説得を重ねてようやく「本当にやる気があるならしっかり学んでこい」と言ってもらえました。

それからはがむしゃらに修行をして、約2年間で酒蔵の開拓や飲食店への営業、イベント、仕入れなど、ほとんどの業務に携わらせてもらい、経営のノウハウを掴んでいきました
そして2017年の年末年始にやっと「いいんじゃないか」と言ってもらえて。新潟にUターンをし、店を引き継いで、今に至るまでの挑戦がはじまりました。

ー時代の波もある中で、不安などはなかったのでしょうか。

寺田和広さん:これは継ぐ前も、継いでからも同じく言えることなんですが、やらなければいけないことや、考えなければいけないことが山ほどあるので、不安になる時間ってないんですよね。不安になっていても仕方がないというか。

今日やったことや出会った人との繋がりで、明日また新しいことに挑戦できる、といった感じでどんどんやるべきことや目標が出来上がっていきます。不安よりワクワクを感じるほうが多いんですよね。失敗を恐れるよりも、成功するためのプロセスを考えるんです

 

ー2017年にお店を継いで、リニューアルまでの約2年間どのようなことをしていたのでしょうか。

寺田和広さん:継いでからお店を今の形にするまでの間は、駐車場などを使わせてもらってイベントと飲み会をひたすら開催していましたよ。そしてお金を貯めてはDIYや工事をして、少しずつ店を改装していきました。今のお店の形になったのは2021年4月のことなんです。

まず、大前提として「店を継がせてもらった以上、金を出してくれ、とは言えない(言わない)」そして「継いだ頃にあった貯蓄は、絶対にマイナスにしない」という私の中での覚悟がありました。

その上で、店を立て直すにはどうすればいいのかを考えるんです。建物を変えるにはお金がかかるし、かつ変えてしまったら変更が利かない。だから、まずは地域を理解することを第一に考えました

その手段の1つとしてイベントを開催していました。いろんな方と話をして、一緒に酒を飲み交わしながら親交を深めていくんです。すると、広がっている人脈は家族ぐるみや子連れが多いのに、家族でいける酒屋は少ないことに気づいたんです。

そこからわたご酒店のコンセプトである『家族で行きたくなる酒屋』や、テーマである『Fun to Drink;』に繋がっていったんです。

 

ーサブスクも寺田さんの発案なんですか?

寺田和広さん:そうです。『Fun to Drink;』というテーマのもとには、手段より本質、つまり楽しんでもらうことが第一なんです。選ばれる酒屋になるためのアクションの1つがサブスクです。

サブスクを始めようと思ったきっかけは、単純に需要があると思ったからです。情報過多のこの時代で、「選ぶ」ことに疲れている人に対して手軽に楽しめる機会を提供できると思いました。お酒好きだけど選ぶのが大変だと感じる人や、わざわざ酒屋さんに行ってまでお酒を購入しない人、時間がないけど美味しいお酒を飲みたいという人にもサブスクを使えば手軽にきっかけを与えられると感じて。実際、離脱率も低く、安定してたくさんの方に利用していただいています。

わたご酒店サブスク

わたご酒店サブスクURL→ https://subsc.jp/products/seller/36

 

未来につながる酒屋をつくるために

わたご酒店小学生見学

ー今後はどのようなことに挑戦していこうと考えていらっしゃいますか?

寺田和広さん:今は『Fun to Drink;』というテーマのもと、次のチャレンジをするために体制を整えている段階です。具体的には、これからは料理を使って地域を表現するツールを作っていきたいと考えてます。常に意識していることとして、わたご酒店は出口から計算するようにしているんです。入り口から計算してしまうと、野菜を作ったけど販路が無い…!など結果的に失敗してしまうので、逆算して体制を整えています。例えば、イベントを開くにあたって、お酒を売りますよね。そうすると料理も一緒に提供することができます。イベントにはお客さんがいるので、料理もお酒も買ってもらえる。すると、八百屋や農業まで手を広げることができるようになっていくんです。

こういったように、常に何が必要かを見極めながら逆算することで打率も上がり、満足度も上がるので、結果的に僕たちがやろうとしている『Fun to Drink;』に近づくことができるんです。

もう一つ残していきたいと考えているのは、子供や孫の代まで「わたご酒店」を繋いでいくことです。実は『Fun to Drink;』は終わりがセミコロンになっていて、未来へ続いてくという意味が込められています。孫の代まで続くことを想像して動いていかないと持続可能な酒屋を目指すことはできないですよね。

だからこそ親が戦った証、つまりいろんなことに挑戦をして、人のために頑張っていたという姿を残せたら嬉しいなと思っています。今抱えている日本酒業界の課題を0にすることなどは難しいですが、小さな課題を解決できるノウハウを貯め込むことはできます。そうすることで今後子供たちが生きていく上で参考になるような姿勢を残していきたいと思っています。

 

***

 

「継がなくていい、自分達の代でおしまいにする」と言って、時代と共に消えていくお店は無数にありますよね。
それは仕方のないことで、「変化は進化」という考えもあるでしょう。

しかし、残したい想い、残すためにできることがまだあるのに、何もできずに消えてしまうなんて事態は、少しでも減らしていきたい。

「探究力」さえあればどんな環境もどうにでもできる。というのが、今回取材をした私の学びです。
わたご酒店は、4年前に祖母と寺田夫妻3人でリスタートし、今ではスタッフが6人となり、たくさんの新しいことや素敵な取り組みをされています。寺田和広さんはわたご酒店で共に働く方々を、デコレーションケーキに例えていました。

“わたご酒店はスポンジ部分でしかない。1人1人が自分にできることを持ち寄って飾り付けをしている”

ならば、きっとここにいる方々の生き方、考え方を深掘ることで、「残したい想い」を消さずに済む「探究力」のヒントを見つけることができるのではないかと感じた今日この頃でした。

わたご酒店スタッフ集合写真

寺田和広さん
てらだ かずひろ|経営者


1989年新潟市生まれ。県内の高校を卒業後、東京の大学に進学。大学卒業後、全国規模の酒類商社に入社。その後、東京の地酒専門店で修業をし、2017年末、祖父母が営む「新潟亀田 わたご酒店」に入社。東京では新橋や新宿などの舌と情報の肥えた飲み手や、飲食店さんとの商売の中で、東京でも無名であった全国の蔵を発掘し、認めていただく。同時に雑誌の日本酒特集や、専門書の編集なども経験。
わたご酒店HP:https://watago-sake10.jimdofree.com/

 

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